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横井也有の俳文選
104「七景記」

☆七景記(しちけいき)

 横井也有著『後鶉衣』に掲載されている俳文で、宝暦4年(1754年)頃、也有が数え年53歳で隠遁した時の作と考えられています。この俳文は、中国の「瀟湘八景」に倣った風景の選定が日本でも盛んに行われていたので、也有も「知雨亭」から見える七つの景色(東嶺孤月・路傍古松・蓬丘烟樹・海天帰雁・龍興寺鐘・市門暁鶏・隣舎舂歌)に名付けたものです。当時は、琵琶湖の「近江八景」や鎌倉の「金沢八景」が有名でした。

☆七景記(しちけいき) (全文) 

<原文>

 知雨亭[1]とは、隠栖[2]の穴居[3]に類すべく、巣居[4]の風を知り、穴居[3]は雨を知るの心を以て云り。又半掃庵[5]とは、我物ぐさ[6]の明くれ、掃く日よりは掃ぬ日は多く、床は塵、庭は落葉に任せがちなる庵のだゞくさ[7]をいふなりけり。名はふたつにして物二つならず。されば是に七景を撰ぶ。

東嶺孤月[8] 路傍古松[9] 蓬丘烟樹[10]
海天新雁[11] 龍興寺鐘[12] 市門暁鶏[13]
隣舎舂歌[14]

 東嶺孤月[8]とは、嶺は三河の猿投山なり。遠き山々の夫より北につらなりて、此山のあはひより、十月ばかりのよく晴れたるには、士峰[15]のいたゞきもみゆる事あり。夫かあらぬか[16]と、昔は人の疑ひしが、宝永の比、かの山の焼ける時、夫とは定まりしかと、古き人のいへりけり。さればさなげ山とは、名のをかしくて歌などにも読むべきを、文字を猿投と書けるは少しくちをし。たゞ万葉にぞかゝまほしけれ。されど月には猿の名もよそならず。ほとゝぎすも蜀魂[17]と書き、朝がほも牽牛[18]とかけばむくつけき[19]たぐひにや。清氏の女[20]も絵に書いて劣るものと言っているが、字に書いて劣るということはない。月は夜の長短によって、この山の南北より出でて、清光[21]ことにさはる物なし。此府下に月の名所をえらまば、此地をこそいふべかりけれ。
 路傍古松[9]とは、世に七本松とよべり。あるは相生[22]めきてたてるもあり、又程へだゝりてみゆるもあり。染めぬ時雨のゆふべ、積る雪の朝、ながめことに勝れたり。草薙の御剣[23]のむかし語を追ひて、もしは此七つを以て辛崎の一つにかへむといふ人ありとも、我は更におもひかへじ。
 蓬丘烟樹[10]は、則ち熱田の御社なり。高蔵の杜は猶ちかくて、春の霞、秋の嵐、此亭の南の観、たゞ此景にとゞまる。しばらく杖を曳けば[24]、あけの華表[25]も木の間にみゆめり。鳴海は熱田につらなりて、松風の里・夜寒の里・呼継浜・星崎など、我国の歌枕は、皆此あたりにあつめたり。すべて是熱田の浦辺なれば、海づらもやゝみゆべきほどなれども、家居にさわり森にへだちて、一望のうちにいらず。
 されば、海天新雁[11]も、此あたりをいへるなりけり。
 龍興寺鐘[12]は、庵の東よき程に隔たる木立一村の禅林なり。ある日客ありて物語しける折しも、此鐘のつくづくと雲よりつたふを聞きて曰く、「けふ此声の殊に身にしめる何ぞ然るや」と。我是に答へて曰く、「客もかの廿年[26]の昔をしるならん、此あたりはしばし歌舞の遊里[27]となりて、あけ暮糸竹[28]のえむをあらそひ、月雪花[29]もたゞ少年酔客の遊にうばゝれしが、其世は此鐘の暁ごとに別を告げて、幾衣々の腸をたちけむ[30]。世かはり事あらたまりて、今は其形だになく、蛾眉[31]蝉鬢[32]も今いづくんかあるや。されば、つく人に心なくとも、聞く人の耳にのこりて、遺響[33]を悲風[34]に託せるならん」と。客も実にと聞きて、かついたみ、かつ笑ひにき。
 さてや、市門の暁鶏[13]は、此西の方、あやしの小借屋といふ物、軒をならべ、おのがさまざまの世渡り佗しげなれど、かゝればおのづから遠里小野[35]のかはりかりの声も、事かゝぬ程に音づれ、はかばか敷商人は来らね共、海老・鰯・小貝やうの物、名のりて過ぐる事も明くれなり。さればたまたまとふ人ありて、みさかな[36]に何よけんなど、一盃をすゝむるには、こゆるぎのいそぎありかねども、居ながら求め得る日も有るべし。家ゐは是より市門[37]へつらなれば、暁の鳥も枕につたへて、老のね覚のちからとはなれる也。
 隣舎舂歌[14]は、もとより農家の間なればいふにも及ばず。かのからうす[38]のこほこほ[39]となりし夕がほの隣どのは、なほゆたかなる家ゐにてもやありけん。こゝらは唯手杵[40]の業わびしく、麦の秋・稲の秋、あはれは砧[41]の丁東[42]にもゆづらず。是をならべて七景とはなせりけり。さるはいとをこがましく、遼東[43]の豕にも似たれど、賞心[44]は必ずしも山水の奇絶[45]にもよらじ。名にしあふみの人のみるとも、おのが八所の厚味[46]にあかば、かゝる淡薄[47]のけしきも又まづらしきにめでゝ、一たびの目をとゞめざらめや。

昭和58年3月30日 名古屋市教育委員会発行『名古屋叢書三篇 第十七巻・第十八巻 横井也有全集 中』より

(現代語訳)  七景記

 知雨亭は、俗世間から離れて、静かに暮らす洞穴に類似するようで、木の上に巣を作ってすむことの風情を感じ、洞穴は雨を知るの心によって名付けたものだ。また半掃庵と言うのは、私は、物ぐさの日常で、掃除をする日よりは掃除をしない日の方が多く、床には塵が貯まり、庭には落葉が降り積もっている庵の整理のいきとどかない様によって名付けたものだ。名は二つあるが、建物は二つあるわけではない。そうであるから、ここに七つの景色を選定する。

 「東嶺孤月(猿投山の月)」 「路傍古松(七本松)」
 「蓬丘烟樹(熱田神宮の森)」 「海天新雁(熱田の海に見える日本へ渡ってくる雁)」
 「龍興寺鐘(御器所龍興寺の鐘)」 「市門暁鶏(飴屋町の民家)」
 「隣舎舂歌(北隣の農家から、臼で米や麦を搗きながら歌う歌が聞こえてくる)」

 「東嶺孤月」の山嶺は三河国の猿投山である。遠き山々はこれより北に連なって、この山の合間より、10月くらいのよく晴れた日には、富士山の頂も見える事がある。ほんとうか、そうでないか、昔は人が疑ってもいたが、宝永年間に、富士山が噴火した時、(噴煙が見えたので)それと定まったと、昔の人が言っていた。そうであるから、猿投山とは、名が興味深くて歌などにも詠まれていいものを、文字を「猿投」と書くのは少し不本意である。ただ、万葉仮名で書いた方が味わいがあるであろう。しかし、月夜には、猿の名も他ではない。ほととぎすも「蜀魂」と書き、朝顔も「牽牛」と書けば無風流な類であろう。清少納言も絵に描きて劣るものと言ったが、字に書いて劣るとの指摘はない。月は夜の長短によって、この山の南から出たり、北から出たりして、清らかな月の光が、特に遮るものもない。この名古屋城下で月の名所を選ぶならば、この地をこそ言うべきである。
 「路傍古松」は、世間では七本松と呼んでいる。一方で、一つの根から二本の幹が相接して生え出るように立っているものもあり、また、一定の間隔で見えるものもあり。色を変えない時雨の夕方、積る雪の朝は、眺望がことに優れている。「草薙の御剣」の昔話に追従して、もし、この七本松をもって唐崎の一つ松に倣って、一本に替えるという人があっても、私は特に賛成はできない。
 「蓬丘烟樹」は、すなわち熱田の御社である。高蔵の杜は尚近くて、春の霞、秋の嵐、この知雨亭の南の観望は、ただこの景色が一番優れている。しばらく杖を手にして歩けば、朱色の鳥居も木の間に見ることが出来る。鳴海は、熱田に続いていて、松風の里・夜寒の里・呼継浜・星崎など、我国の歌枕は、皆この辺りに集まっている。すべてここ、熱田の海岸であるので、海面も少し見えるくらいではあるけれども、住居に妨げられ、森に隔てられて、一望のうちに見ることが出来ない。
 そうだから、「海天新雁」も、この辺りを言うべきである。
 「龍興寺鐘」は、知雨亭の東に、程良い距離を隔てた木立の一村の禅宗寺院である。ある日に、来客があって語り合った折にも、この鐘の音が、じっくりと雲より伝わってくるのを聞いて言った、「今日、この鐘の音が特に身に染みるのはどうしてなのだろう。」と。私は、これに答えて言った、「来客もこの二十年の昔を知っているのであろうか、この辺りは、しばらく、歌ったり舞ったりの遊廓となっていて、一日中楽器の面白さを競い、四季折々に楽しむよい眺めも、ただ、若者や酔っ払いの遊び場に奪われていたが、その世はこの夜明けの鐘毎に別れを告げて、翌朝、めいめいの着物を着て分かれたことであった。世の中が代わって、新しいものと入れ替わり、今はその跡もなく、蛾の触角のような細眉のセミの羽のように透き通る髪の美人も、今はどこにいってしまったのだろうか。そうならば、鐘を突く人は意識していなくても、聞く人の耳に残って、余韻を哀感を誘う風の音に託したのであろう。」と。来客もほんとうにそうだと思って、一方で傷み、一方で笑ったことだ。
 ところで、「市門の暁鶏」は、この西の方、みすぼらしい小さな借屋というものが、軒を並べ、銘々の様々な世渡りの様が貧しくて苦しそうだけれど、こういうわけで自然に遠く離れた在所の物売りの声も、不足しない程に訪問し、立派な商人は来ないけれど、海老・鰯・小貝のような物を、商人が売り物の名を呼んで歩きまわって過ぎる事もしょっちゅうである。そうであれば、たまたま訪問する人があって、美味な酒の肴に何がよいだろうなど、一盃を勧めるには、急ぎではないけれども、さっそく求め得る日も有るであろう。住いはこれより商人の所へつながっていれば、夜明けの鳥も枕に伝えて、老人の眠りから覚める手助けとはなるだろう。
 「隣舎舂歌」は、もとより農家のことであれば、言うにも及ばず。あの唐臼のこほこほと音を立てているのは、『源氏物語』夕顔の巻に出てくる隣家などは、尚、裕福な住居であったのであろうか。この辺は、ただ手杵をつく仕事も心寂しく、麦の秋や稲の秋における、しみじみとした味わいのある砧を打つ音は、石や金属、玉などが触れ合う音にも負けてはいない。これを並べて七景としているのであった。そうはいっても、とても差し出がましいが、遼東の豕のたとえ(世間のことを知らずに自分一人が得意になること)にも似ているものの、山水を賞して楽しむ心としては、必ずしも山水が非常に珍しいということだけでもない。有名な近江の人が見たといっても、「近江八景」の濃厚な味わいに飽いたならば、このようなあっさりとした景色もまた珍しいと愛でて、一度目をとどめてほしいものだ。

【注釈】

[1]知雨亭:ちうてい=藤ケ瀬横井家の別荘。晩年横井也有が居住した。
[2]隠栖:いんせい=俗世間から離れて、静かに暮らすこと。また、そのすまい。
[3]穴居:けっきょ=自然または人造の洞穴に住むこと。また、その住居。
[4]巣居:そうきょ=木の上に巣を作ってすむこと。住居。すみか。
[5]半掃庵:はんそうあん=藤ケ瀬横井家の別荘「知雨亭」の別称。
[6]物ぐさ:ものぐさ=物事の根元となるもの。物の種。ものざね。ものしろ。
[7]だゞくさ=雑然として整理のいきとどかないこと。また、そのさま。粗雑。疎略。ぞんざい。
[8]東嶺孤月:とうれいこげつ=猿投山の月のこと。 
[9]路傍古松:ろぼうこしょう=七本松のこと。 
[10]蓬丘烟樹:ほうきゅうえんじゅ=熱田神宮の森のこと。
[11]海天新雁:かいてんしんがん=熱田の海に見える日本へ渡ってくる雁こと。 
[12]龍興寺鐘:りゅうこうじしょう=御器所龍興寺の鐘のこと。 
[13]市門暁鶏:しもんぎょうけい=飴屋町の民家のこと。
[14]隣舎舂歌:りんしゃしょうか=北隣の農家から、臼で米や麦を搗きながら歌う歌が聞こえてくること。
[15]士峰:しほう=富士山のこと。
[16]夫かあらぬか:それかあらぬか=それか、そうでないか。
[17]蜀魂:しょっこん=「ほととぎす」の漢名。蜀の望帝の魂がこの鳥に化したという伝説がある。
[18]牽牛:けんぎゅう=「あさがお」の漢名。正確には「牽牛花」。
[19]むくつけき=無骨(ぶこつ)な。無作法な。無風流な。
[20]清氏の女:せいしのむすめ=清少納言のこと。
[21]清光:せいこう=きよらかな光。特に、月の光をいう。
[22]相生:あいおい=一つの根から二本の幹が相接して生え出ること。二つのものがともどもに生れ育つこと。
[23]草薙の御剣:くさなぎのぎょけん=三種の神器(八咫鏡、八尺瓊勾玉、草薙剣)の一つ。三種の神器の中では天皇の持つ武力の象徴であるとされる。
[24]杖を曳けば:つえをひけば=杖を手にして歩けば。散歩すれば。旅をすれば。
[25]華表:とりい=神社の鳥居。「花表」とも書く。
[26]廿年:はたとせ=二十年。
[27]遊里:ゆうり=遊廓。
[28]糸竹:しちく=筝・琵琶などの弦楽器と笙・笛などの管楽器。楽器全般。
[29]月雪花:つきゆきはな=月と雪と花。四季おりおりに楽しむよいながめ。
[30]衣々の腸をたちけむ:きぬぎぬのはらわたをたちけん=翌朝、めいめいの着物を着て分かれること。暁の別れ。
[31]蛾眉:がび=蛾の触角のように細く弧を描いた美しいまゆ。転じて、美人。
[32]蝉鬢:せいびん=セミの羽のように透き通る、薄く梳いた女性の髪。転じて、美人の美しい髪をいう。
[33]遺響:いきょう=あとに残るひびき、余韻。転じて、後世に残る習俗や教化。
[34]悲風:ひふう=さびしく悲しげに吹く風。哀感を誘う風の音。
[35]遠里小野:とおざとおの=遠い里にある小さな野原。遠く離れた在所。
[36]みさかな=美味な酒のさかな。
[37]市門:しもん=まちの門。商人の所。
[38]からうす=唐臼。稲などのもみがらを落とすための農具。上臼と下臼からなる。
[39]こほこほ=雷が鳴ったり物をたたいたり、また、咳?(せき)?をしたときなどの音を表す語。
[40]手杵:てぎね=太い棒の中央のくびれた部分を握ってつく杵。かちぎね。
[41]砧:きぬた=布地を打ちやわらげ、つやを出すために用いる木槌を打つ石の台。その木槌で打つことや、打つ音にもいう。
[42]丁東:ていとう=石や金属、玉などが触れ合う音のさま。
[43]遼東:りょうとう=中国遼寧省南東部一帯の地。
[44]賞心:しょうしん=山水などをめでる心。
[45]奇絶:きぜつ=きわめて奇妙なこと、非常に珍しいこと。
[46]厚味:こうみ=濃厚な風味。美味しい食物。
[47]淡薄:たんぱく=物事の感じがあっさりしていること。さっぱりとしていること。また、そのさま。


横井也有自筆「七景記」の図(『俳諧夢之蹤』より)

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