☆横井也有関係略年表
・1702年(元禄15年9月4日) 尾張国名古屋で尾張藩の御用人や大番頭を務めた横井時衡の長男として生まれる
・1716年(享保元年) 15歳の時、元服して市郎平時般と改名、自学自習をはじめる
・1717年(享保2年) 16歳の時、藩主継友に御目見をし、御近習詰となる
・1727年(享保12年) 26歳の時、父が隠居して家督知行1,000石を継承して普請組寄合となる
・1729年(享保14年) 28際の時、父・時衡が亡くなる
・1730年(享保15年1月) 29際の時、御用人となり、孫右衛門を名乗る
・1730年(享保15年4月) 江戸勤番となる
・1740年(元文5年) 野火留を訪ねて、「業平塚」を見る
・1741年(元文6年4月) 40歳の時、大番頭兼御用人となる
・1744年(寛保4年2月) 知行200石加増されて1,200石となる
・1745年(延享2年4月6日) 第八代尾張藩主宗勝公のお供をして中山道を下る
・1748年(延享5年2月) 寺社奉行兼御用人となり、江戸詰は免除される
・1750年(寛延3年5月) 病気により役儀を免除され、普請組寄合となる
・1751年(宝暦元年) 前津の草庵知雨亭が竣工する
・1754年(宝暦4年8月) 53歳にして病を理由に隠居する
・1758年(宝暦8年) 大島蓼太は吉野行脚の途上半掃菴に也有を訪れる
・1760年(宝暦10年) 『七時雨』(横田柳几編)の序を書く ・1763年(宝暦13年6月18日) 不之庵木児が75歳で没し、追悼文を書く
・1766年(明和3年) 『八橋集』(片水・除来編)の序を書く
・1766年(明和3年10月) 巴笑が木曽の桟に芭蕉の句碑(也有筆)を建立し、記念出版した『梯集』(巴笑編)の序を書く
・1769年(明和6年4月) 植田古帆、大木巴牛は「松葉塚」を再建、也有が筆を取る
・1769年(明和6年9月) 長谷川三止により、也有句碑と芭蕉のすみれ塚(也有筆)が建てられる
・1769年(明和6年12月) 長栄寺に石原文樵荷より蘿塚がが建てられる
・1771年(明和8年) 古稀の賀が行われる
・1772年(安永元年12月) 『秋の日』(暁台編)刊の序を書く
・1773年(安永2年8月18~27日) 内津(現在の愛知県春日井市内津町)に遊ぶ
・1774年(安永3年) 三狂庵門人箕輪連中は芭蕉の句碑を建立し、也有が筆を取る
・1779年(安永8年3月25日) 横田柳几が筑紫紀行の途次、也有を訪れる
・1781年(安永10年3月9日) 長栄寺で、詩歌連俳の会「九老尚歯会」が開催される
・1783年(天明3年6月16日) 尾張国名古屋で、数え年82歳で亡くなる
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