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横井也有の俳文選
251「更幽亭記」

☆更幽亭記(こうゆうていき)

 横井也有著『鏡裏梅』に掲載されている俳文で、明和7年(1770年)頃、也有が数え年69歳の作と考えられています。この俳文は、也有に私淑し、尾張国春日井郡内津村(現在の愛知県春日井市内津町)に住んでいた俳人長谷川善正(号は三止)に与えたものです。三止は、「幽耕亭」を称していましたが、改号を也有に依頼したためなのか、「更幽亭記」を与えて、三止の住居の名称を与えました。

☆更幽亭記(こうゆうていき) (全文) 

<原文>

 とから衣[1]うつゝの山里[2]に代々薬を鬻ぐ[3]家あり。所は少陵が尋ねし張氏が隠栖[4]に似て、貧富はおなじからず。夜金銀の気は只此家より立のぼりて、上清童子[5]常にはたらけば物の不自由なる山中ならず。今のあるじ風雅[6]にふけりて客を愛する中に、実に山間の閑寂[7]を求る時は、襖に風塵[8]を隔て、名におふ手まくら[9]の茶を煮て一室に幽趣[10]を楽めば、もとより深山簷に近くして、伐木の丁々[11]たる耳更に清かるべし。此亭に号を呼ぶに更幽[12]の二字を以てす。我は老と病にほだされて[13]神飛べども訪ふ事あたはず。訪ふ人あらば此名の虚ならざる[14]を知るべし。    蘿隠

昭和58年3月30日 名古屋市教育委員会発行『名古屋叢書三篇 第十七巻・第十八巻 横井也有全集 中』より

(現代語訳)  更幽亭記

 尾張国春日井郡内津村の山里に代々薬を商ってきた家がある。場所は「少陵が尋ねし張氏が隠栖」に似てはいるが、貧富は同じようではない。夜に金銀を蓄えている気配は、ただこの家より立のぼりて、上の者から子供まで常に働いているので物の不自由なる山中ではない。今の主人(長谷川三止)は俳諧の境地にふけって客をもてなす場合、実に山間のもの静かで趣のあることを求る時は、襖で俗世間を隔て、有名な「手枕」という銘茶を煮て一室に奥深く静かな風情を楽しめば、元々深山の趣に近く、伐木の響きが耳に清らかに聞こえる。この家に「更幽」の二字を以て名付けた。私は高齢であり、病もあって、 身体の自由を束縛され、神ならば飛んでも行けるであろうが訪問することが出来ない。訪問する人があれば、この命名が嘘や偽りではないことを知るであろう。    蘿隠(也有)

【注釈】

[1]から衣:からころも=「着る」「裁つ」「裾(すそ)」「袖(そで)」「紐(ひも)」など、衣服に関する語や、それらと同音をもつ語にかかる枕詞。
[2]うつゝの山里:うつつのやまざと=尾張国春日井郡内津村のこと。
[3]薬を鬻ぐ:くすりをひさぐ=薬を売る。薬の商いをする。
[4]隠栖:いんせい=俗世間から離れて、静かに暮らすこと。また、そのすまい。
[5]上清童子:じょうせいどうじ=上の者から子供まで。
[6]風雅:ふうが=特に、芭蕉および蕉門で、俳諧一般のことをいう。また、その美的境地をもいう。
[7]閑寂:かんじゃく=もの静かで趣のあること。ひっそりとして落ち着いていること。また、そのさま。
[8]風塵:ふうじん=わずらわしくきたないこと。また、そのようなもの。特に、わずらわしい世の中。汚れたうき世。俗世間。
[9]手まくら:たまくら=也有が名付けた内津に産する茶の銘。
[10]幽趣:ゆうしゅ=奥深く静かな風情。奥ゆかしい風情。
[11]丁々:ちょうちょう=金属などがぶつかり合うかん高い音が、続いて響くさまを表わす語。また、いきおいよく打ち続けたり、切り続けたりするさまにもいう。
[12]更幽:こうゆう=宋の王安石「鍾山即事」の中の「一鳥不鳴山更幽」から由来し、山は いっそう静まり返っているという意味。
[13]ほだされて=身体の自由を束縛される。
[14]虚ならざる:うつろならざる=嘘や偽りではない。

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