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横井也有の俳文選
190「八百坊記」

☆八百坊記(はっぴゃくぼうき)

 江戸時代の俳人横井也有著『鏡裏梅』に掲載されている俳文で、明和3年(1766年)3月、也有が数え年65歳の作とされています。この俳文は、也有の友人木仝に、自分の庵に「八百坊」という庵号を名づけたのだが、その庵号について何か一文を書いてくれと依頼されたので、書いて贈ったものでした。松尾芭蕉の「蕉門奥秘二十五ヶ條」を引き合いに出して、徘徊での嘘について語る中で、「八百坊」の曰くについて、述べたものです。

☆八百坊記(はっぴゃくぼうき) (全文) 

<原文>

 「二十五ヶ條[1]」といふものに、蕉翁[2]の詞とて、詩歌[3]連俳[4]は、上手にうそをつく事也とぞ。翁は俳諧の祖師[5]なり。詩歌[3]連歌の人はいさしらず、俳諧師[6]は是を守りて、我劣らじ[7]とうそをつけども、夫翁のうそかもしらず。あるは門人[8]のうそにやあらむ。嘘は乾坤[9]に滿々たれば、我口にうそはつかねども、耳にはうそを聞ぬ日もなし。そもやつれづれ草[10]に、うそ聞く人の品々を言たれども、うそつく人の品はいはず。うそに大うそあり、小うそあり。佛のうそは人を救ひ、莊子[11]のうそは人を教へ、傾城[12]のうそは人を迷はす。只はいかいのうそばかり、人の為にいはず、身の爲にせず。跡なき雲の郭公[13]、名のりかけてつくうそは、人をあやまる罪なしとて、うそ八百坊[14]の額うちて、俳諧に遊ぶ人あり。實も鼻のほどおどめきて、世路[15]にうそつく人は、我はうそならずと偽り、みづからうそなりといひて俳諧する人は、それ則まことなれば、交を結ばむには、頼むべき友の一ッなるべし。されども麁忽[16]の者ありて、坊と屋の字を心得違て、茄子を大根をと求めに来たらむに、是は青物[17]賣る店にあらずと、あるじの答に不興[18]して、さては家名にうそつきたりとつぶやかむ無風[19]雅人[20]は論ずるに足ざるべし。八百坊の記を請はる、我八百の意を問はれども、そのよる所を推量[21]して、此一語を書て贈る。あるじの心まことあらば、よもや此記を捨べからず。
    明和三年戌三月   与木仝[22]

昭和58年3月30日 名古屋市教育委員会発行『名古屋叢書三篇 第十七巻・第十八巻 横井也有全集 中』より

(現代語訳)  八百坊記

 「蕉門奥秘二十五ヶ條」というものに、松尾芭蕉の言葉として、漢詩、和歌、連歌、俳諧は、上手に嘘をつくことだとある。芭蕉は俳諧の祖師なので、漢詩、和歌、連歌の人はいざ知らず、俳人はこれを守って、先を争って嘘をつくのだけれども、それも芭蕉の嘘かも知れない。または、門弟の嘘かもしれれない。嘘は人の住む所に満ち溢れていれば、自分では嘘をつかなくても、耳には嘘を聞かない日はない。いったいまあ、『徒然草』に、嘘を聞く人の種類を述べてはいるものの、嘘には大うそがあり、小うそもある。仏の嘘は人を救済し、莊子の嘘は人に教示し、遊女の嘘は人を迷わせる。ただ俳諧の嘘ばかりは、他人の為に言わないし、自分の為にも言わない。跡形もなく雲の中に消えてしまう郭公のように、はっきりと名のってつく嘘は、人を誤る罪がないとしとて、嘘「八百坊」の額を庵にかけて、俳諧に遊んでいる人なのである。実際に鼻のあたりをひくひく動かしつつ、世わたりのために嘘をつく人は、自分は嘘をついていないと偽り、自分から嘘であると言って俳諧をする人は、それはすなわち、真実の人であれば、交友を結ぶには、信頼すべき友人の一人であるに違いない。とは言っても、軽率な人もいて、坊と屋の字を間違えて八百屋と勘違いし、茄子や大根などを買い求めに来たりする時に、ここは、野菜を売る店ではないとの主人の返答に機嫌を損なって、それでは、家名に嘘ついたのだとつぶやくような平穏な風流人は論ずるに足らないものである。私は「八百坊」についての記述を求められたものの、私は八百の意味を問はれて、その根拠を推察して、この一文を書いて贈った。主人の心に真実が有れば、まさかこの一文を捨てることはないであろう。
    明和3年(1766年)戌3月  木仝に与える

【注釈】

[1]二十五ヶ條:にじゅうごかじょう=「蕉門奥秘二十五ヶ條」のこと。
[2]蕉翁:しょうおう=松尾芭蕉のこと。
[3]詩歌:しいか=漢詩と和歌。
[4]連俳:れんぱい=連歌と俳諧。
[5]祖師:そし=学問や技芸などで一派を打ち立てた師。
[6]俳諧師:はいかいし=俳諧・俳句に巧みな人。俳人。
[7]我劣らじ:われおとらじ=自分は他人に負けまいとして。先を争って。われがちに。
[8]門人:もんじん=師の門下にある人。弟子。門弟。門下生。門生。
[9]乾坤:けんこん=天と地。天地。天地の間。人の住むところ。国、また、天下。
[10]つれづれ草:つれづれぐさ=『徒然草』、鎌倉末期の吉田兼好の随筆で1330~31年ころの著作。
[11]莊子:そうし=中国の戦国末の思想家。老荘思想の源泉の一人。
[12]傾城:けいせい=遊女。近世では特に太夫・天神など上級の遊女をさす。
[13]郭公:ほととぎす=鳥「ほととぎす(杜鵑)」をいう。
[14]八百坊:はっぴゃくぼう=横井也有の友人の俳人が名付けた庵号。
[15]世路:せいろ=世わたり。
[16]麁忽:そこつ=軽はずみなこと。そそっかしいこと。また、そのさま。軽率。
[17]青物:あおもの=青色の野菜。蔬菜 (そさい) 。
[18]不興:ふきょう=興のさめること。おもしろくないこと。しらけること。また、そのさま。機嫌を損なうこと。不機嫌。
[19]無風:むふう=他からの影響を受けず、波乱が全くないことのたとえ。平穏であること。
[20]雅人:がじん=風流な人。みやびお。
[21]推量:すいりょう=推察する。人の気持やものの状態などを推し量ること。
[22]木仝:もくどう=江戸時代中期の尾張国名古屋の俳人。

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