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横井也有の俳文選
275「茶記」

☆茶記(ちゃき)

 横井也有著『鏡裏梅』に掲載されている俳文で、安永2年(1773年)の数え年72歳頃の作と考えられています。この俳文は、内津に住む長谷川三止が自家製の茶の銘を也有に求めて、俳文「定茶名文」により、「手まくら」とつけてもらいましたが、近所の醒月堂(試夕の屋号)が製する茶も同じだからというので銘を譲ってやりました。しかし、三止のは自家用、醒月堂のは商売物で、扱いが違うのに同じ銘では、三止の方がにせものかと疑われます。そこで疑いを解く一言をと也有に求めたものです。

☆茶記(ちゃき) (全文) 

<原文>

 現山[1]の更幽居[2]に製する茶のいみじく美なるにめでゝ、嘗て手枕[3]といへる名を定て贈りしが、其里の酔月堂[4]に製するも同じ茶なるがゆへに、同じ名を譲あたへしとぞ。されども幽居[5]は只其家に愛し、月堂[6]は他に鬻ぐ[7]。其あつかふ事のたがへるが故に、若は贋物[8]かの疑あらむ。其うたがひを解べき一言をとあるじ又予に求む。そもや芦と浜荻[9]は物ひとつなれ共名は二つにて迷ふ人もあらむ。柏[10]と萱[11]は物二つなれ共、呼ぶ事同じくてまがふ時も有ぬべし。同じ里に同じ物の同じ名ならんには、何かは人の疑あらむと辞すれ共あながちに[12]請ふ。すべき方なくて[13]一句を贈る。     

     茶は同じ香を手まくら[3]の右左

昭和58年3月30日 名古屋市教育委員会発行『名古屋叢書三篇 第十七巻・第十八巻 横井也有全集 中』より

(現代語訳)  茶記

 内津の長谷川三止の家で製造するお茶がとても美味なのを褒めて、以前に「手まくら」と名付けて贈ったが、その里の醒月堂(試夕の屋号)が製造する茶も同じだからというので、同じ銘を譲り与えてやった。しかし、三止のは自家用で、醒月堂のは商品で、その扱いが違うのに、(同じ銘では)三止の方がにせものかと疑われる。そこで、疑いを解決するために一言をと三止が也有に求めた。そこで(也有は)「芦と浜荻は、同じ物なのに、名は二つあって、間違える人もあるであろう。柏と萱は、別物であっても、呼ぶ名前が似ているので、間違うこともあるであろう。同じ里に同じ物の同じ名であることは、どうして人が疑うことがあろうか、いやないであろう。」と断ったが、強いて求められる。どうにもしようもなくて、(也有は)一句を贈った。

  茶は同じ香なのだから、茶碗を持つ右手を左手で受け取り、左手で茶碗を支える動作と同じようなものだよ。

【注釈】

[1]現山:うつつやま=内津(現在の愛知県春日井市内津町)のこと。
[2]更幽居:こうゆうきょ=内津の住人長谷川三止の住居の名称(也有が名付けた)。
[3]手枕:たまくら=也有が名付けた内津に産する茶の銘。茶道の作法の一つで、茶碗を持つ右手を左手で受け取り、左手で茶碗を支える動作のことを言う。
[4]酔月堂:すいげつどう=茶屋を営む内津の住人試夕の家の屋号。
[5]幽居:ゆうきょ=長谷川三止のこと。
[6]月堂:げつどう=試夕のこと。
[7]鬻ぐ:ひさぐ=売る。商いをする。
[8]贋物:がんぶつ=にせもの。まやかしもの。
[9]浜荻:はまおぎ=植物「あし(葦)」の異名。
[10]柏:かしわ/かへ=ブナ科の木。
[11]萱:かや=イネ科の多年草,園芸植物。ススキの別称。
[12]あながちに=強引に。無理やりに。強いて。
[13]すべき方なくて:すべきかたなくて=するべき方法がなくて。どうにもしようもなくて。やむを得なくて。

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