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89「知雨亭記」
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☆知雨亭記(ちうていのき) 横井也有著『後鶉衣』に掲載されている俳文で、宝暦4年(1754年)頃、也有が数え年53歳で隠遁した時の作と考えられています。也有の草庵(知雨亭・半掃庵)について記したもので、とっても簡素なものとされています。当初は妻も同居していましたが、途中からは、執事兼弟子であった文樵と二人で暮すこととなりました。半掃庵の意味は、「掃除もしたりしなかったり」ということで、知雨亭については「知雨亭記」で「名づけて知雨亭と呼ぶ事、かの蘇氏が喜雨にもならはず、何がし黄門の時雨をも追はず。陸放翁が歌吹海にありて、七年の耳にしらざりしといひけん軒うつ雨のしづかなれば也。」と由来が述べられています。(知雨亭は、繁華な町中から離れているとはいえ、片田舎でも山の中でもない。鎌倉時代的な隠者志向はあるものの、極端に走ることはなく、簡素静寂ではあっても、そこそこ便利で快適な生活の場となっています。「そこそこ便利」というのは也有の考え方であり、自由を求めて隠棲したということだと考えられます。 |
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☆知雨亭記(ちうていのき) (全文) | |||
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