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横井也有の俳文選
115「雪請序」

☆雪請序(ゆきごいのじょ)

 横井也有著『後鶉衣』に掲載されている俳文で、宝暦4年(1740年)冬、也有が53歳で病を理由に隠居とした年の作とされています。この俳文は、雨乞いならぬ雪乞いを正当化するために、いろいろな故事や歌を引き合いに出しながら、俳諧の力で、雪を降らせて見せるとの風流の試みが面白おかしく伝わってきます。

☆雪請序(ゆきごいのじょ) (全文) 

<原文>

 ことし前津の里[1]に世をのがれて、秋の月は心ゆくばかり[2]詠め[3]すごしぬ。山野の眺望くまなき[4]には、雪のけしきのことによからむと、我も思ひ人も思へるにや、雪の朝は必ずとひ来むといひし人々もあれども、その日の火燵のはなれがたくは、林下なんぞかつて一人を見んといひし詩[5]のたぐひならむと、かねて[6]またるる思ひもなし。木の葉もしぐれ[7]もふり尽くして、霜ふり月[8]の半ばすぐれども、けしきばかり[9]にのみうち散りて、蓑笠に見むまでの雪は、猶つれなし。  されば昔より雨を請ふためしはありて、神泉苑の四か度の祈り[10]は、貴僧高僧の法力をあらそひ、小町が歌[11]は児女[12]の諺にのみ伝へて、あめが下の理屈にとがめ、能因の天河[13]は古書にもしるして、その事さだかなり。雨は五穀[14]の為ながら、雪も豊年の端[15]とこそきけ。そもや雨を降らす神あらば、雪降らす神などかなからむ。歌に感応[16]あらば俳諧にも感なからむや。いでやおほけなくも、鳥羽院[17]のおさなくおはして、ふれふれ粉雪の御いのりを、ためしにたのみ奉り、名におふ富士のいただきも、一望の内にあれば、半掃庵[18]に雪乞ひをせばや。年比の俳諧もかやうの時の為にこそあれ。かたがたも力をそへて給はり候へと、ことには不之庵の老和尚を先達として、好事[19]の連衆[20]をかたらひ、丹誠を抽で[21]、一夜火燵の壇をかざり、雪請ひの一巻[22]をぞ催しける。

     雪の願ひ水にはなしそ夕あらし

昭和58年3月30日 名古屋市教育委員会発行『名古屋叢書三篇 第十七巻・第十八巻 横井也有全集 中』より

(現代語訳)  雪請序

 今年は前津の里に隠遁して、秋の月は誰にも妨げられずに十分満足するまで詩歌を口ずさみながら過ごした。山野の眺望が良くて隅々まで見える地で、雪景色なんか格段に良いだろうなと、私も思い、他の人も思うであろう、雪の朝には必ず訪れようと言う人もいたが、その日の火燵が離れがたいのは、「林下何ぞかつて一人を見んといった漢詩」の類と同じなんだろうと、以前から待っているわけでもない。木の葉も時雨も降り尽してしまって、11月の中頃を過ぎたけれど、雪はほんのわずかだけちらついて、蓑や笠で見なければならないような雪は、やはり全然ない。
 だから昔から雨乞いの例はあったとしても、神泉苑の四回の祈りは、身分の高い、徳や知のすぐれた僧たちが雨降らしの法力を競い合い、小町が勅命を受けて雨乞いの歌を詠んだことも、今ではおんなこどものことわざにだけ伝わって、「あめが下」という理屈で天を咎め、「能因法師が伊予国が大干ばつに遭ったとき、国司の依頼で雨乞いの歌を詠み、雨を降らせたという。」ことは古書にも書き残してあり、ほんとの史実としてはっきりしている。雨は五穀(米、麦、キビ、アワ、豆)を育てる為ではあるが、雪も豊年の前兆であると聞いている。そもそも雨を降らす神がいるのならば、雪を降らす神がいてもおかしくはない。歌での信心が神仏に通じて雨を降らせるならば、俳諧にだってその力はあるであろう。さてもう恐れ多いことだが、鳥羽院の幼きし時に、「ふれふれ粉雪」というお祈りを、試みて天にお願い申し上げ、著名な富士山の頂上も、一目で見渡せるところにあるから、半掃庵(也有の隠遁後の住居)で雪乞いをしたいものだ。長年やってきた俳諧も、このような時のためにこそあるべきであろう。人々も手伝ってくださいというわけで、その時には不之庵に住む老和尚(伊藤木児)を導き手に、物好きな連句仲間を誘って、まごころをこめて、一晩炬燵を祭壇代わりにして飾り付け、雪乞いの俳諧一巻を詠む会を催した。

   雪乞いの願いの句会を水泡に帰さないでほしい、夕方の嵐よ。

【注釈】

[1]前津の里:まえづのさと=藤ケ瀬横井家の別宅が有った場所(現在の名古屋市中区上前津)で也有の隠居後の居住地(知雨亭)。
[2]心ゆくばかり:こころゆくばかり=誰にも妨げられずに、十分満足するまで。思う存分。心ゆくまで。
[3]詠め:ながめ=詩歌を口ずさむこと。また、詩歌を作ること。
[4]くまなき=くもりやかげがまったくなく。隠れているところがなく。
[5]林下なんぞかつて一人を見んといひし詩:りんかなんぞかつてひとりをみんといいしし=林下何ぞかつて一人を見んといった漢詩。
[6]かねて=以前からずっとその状態を続けてきたという気持を表わす。前から。今までずっと。
[7]しぐれ=時雨。主に秋から冬にかけて起こる、一時的に降ったり止んだりする雨のこと。
[8]霜降り月:しもふりづき=陰暦11月の異称。霜月。
[9]けしきばかり=形だけ。ほんのわずか。
[10]神泉苑の四か度の祈り:しんせんえんのよんかどのいのり=神泉苑の四回の祈り。神泉苑は雨乞いの祭がよく催される寺。どんな日照りでも涸れることのない、竜神の池がある。
[11]小町が歌:こまちがうた=小町は勅命を受けて雨乞いの歌を詠んだことがあり、和歌の功徳で見事雨を降らせたという。
[12]児女:じじょ=女の子。また、女子と子どもたち。おんなこども。
[13]能因の天河:のういんのてんかわ=能因法師も伊予国が大干ばつに遭ったとき、国司の依頼で雨乞いの歌を詠み、雨を降らせたという。
[14]五穀:ごこく=米、麦、キビ、アワ、豆の五種類の穀物。
[15]雪も豊年の端:ゆきもほうねんのしるし=雪も豊年の前兆である。
[16]感応:かんのう= 信心が神仏に通じること。感通。
[17]鳥羽院:とばいん=平安時代後期の第74代とされる天皇で、白河法皇の没後院政をとり、崇徳・近衛・後白河の3天皇28年におよんだ。
[18]半掃庵:はんそうあん=横井也有の隠遁後の住まい(名古屋城下前津にあった)。また、也有本人の呼称としても使われた。
[19]好事:こうじ=めずらしいことや変わったことに興味を持つこと。また、風流を愛すること。
[20]連衆:れんじゅ=連歌・俳諧の会の席につらなる人々。連句をつくる仲間。
[21]丹誠を抽で:たんせいをぬきんで=まごころをこめること。熱心に物事をすること。
[22]一巻:ひとまき=連歌・連句で歌仙・百韻・千句などの一つの作品。

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