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横井也有の俳文選
87「悼伯母辞」

☆悼伯母辞(をばをいたむじ)

 横井也有著『続鶉衣』に掲載されている俳文で、延享3年(1746年)春、也有が数え年45歳の作と考えられています。この俳文は、也有が、藩主に従って江戸に赴任する前に、いとまごいのために伯母を訪問しましたが、江戸到着直後に伯母の訃報に接してこの文章を書いたと思われます。出立前の伯母とのやり取りと、也有の伯母への思慕が、ていねいに書き記されていて、雲雀に託してその思いを表現しました。

☆悼伯母辞(をばをいたむじ) (全文) 

<原文>

 こはそもはかなき[1]世なりけり。過ぎしはわづかに二十日あまり、武蔵[2]に旅立する御いとま[3]申さむとて訪ひ参らせしに、例のまめやかに[4]もてなさせ給ひ、のどやかに[5]御物語[6]ありしが、御前[7]なる瓶に花ども多く挿させ置き給ひしにつけて、「過ぎし冬、桜の挿し木といふこと人に習ひて庭にささせ侍りしに、まことにあやまたずなん」と啓し[8]侍りつれば、「嬉しきこと聞きつるものかな。今年の冬かならず挿させてむ。そのすべきやう教へて」とのたまはせし[9]ほどに、かかる[10]御別れあるべしとは思しかくべきや。なほ何くれと語りつづけさせ給ふついでに、「この頃、思し寄れることあり。下に賤し[11]の耕す男画きて、上つ方に雲雀[12]の高く上りたるさま画きて、それに発句[13]して得させよ」とありしに、「いとこちたく[14]こそ。すずろなる[15]筆のいかが、及びがたくや侍らん。今は旅の急ぎに静心[16]なく侍れば、さるべき発句[13]もとみには思ひ寄りがたくなむ。さるにても吾妻[17]に下り侍りて、いかで[18]念じて、まほならず[19]とも画きととのへて奉りてむ」とうけがひ参らせし、その暇[20]もなくて、今はた悔しき数[21]とはなりぬ。
 我が母上をはじめて、女の御はらから[22]九所までおはしつ。皆似げなからぬよすが[23]定まらせ給ひながら、うち続きて世を早う去り給ひ、今は二方ばかりぞ残りとどまり給へば、母上失せさせ給ひし後は、いとど御形見[24]とも見奉れば、なほざりに[25]過ぎ来しほども取り返さまほしう、「今は身のおほやけに[26][20]なきものから、いかで疎からず[27]仕へ奉るをりもがな」と、行末[28]遠く思ひてしを、かかるはかなき[1]便り聞きける心の、いく度もただ夢かとぞたどられ侍る。かののたまはせし空の雲雀[12]も、雲隠れ給ふべきはかなき[1]さとしにやとさへ、残る方なく思ひ続くるままに、

  なき魂やたづねて雲に鳴く雲雀[12]

昭和58年3月30日 名古屋市教育委員会発行『名古屋叢書三篇 第十七巻・第十八巻 横井也有全集 中』より

(現代語訳)  悼伯母辞

 これはそれにしてもあっけない世の出来事であった。経過したのはわずかに20日余のこと、江戸へ赴任するために出立するに及んで、御挨拶しようと訪問させていただいた時に、いつものように懇切にもてなしていただき、穏やかに語りあったのだが、客間にある花瓶に花など多く生けさせて置かれていたのにちなんで、「去年の冬、桜の挿し木ということを人に習って庭に挿させましたところ、実に間違いなくできました。」と言上したところ、「嬉しいことを効かせてもらったものだ。今年の冬は必ず挿させよう。その方法を教えて欲しい。」とおおせられた時に、こういうお別れがあるだろうとは予想されることも出来なかったであろう。尚、何やかやと語り続けなさったついでに、「この頃、思い付かれたことかある。下に身分が低い耕作する男を画いて、上の方に雲雀が高く上っていく様子を描いて、それに一句を添えて頂けないか。」と言われたので、「とても仰々しいので。筋違いな筆ではいかがなものか、私の手には負えないのではないかと。今は旅にせかされて心も落ち着かないので、ふさわしい一句も特には思い付き難く。そうはいっても、江戸に下りましてから、ぜひとも知恵を絞り、完全ではなくとも描き整えてお送りしましょう。」と承諾申し上げたが、その時間もなくて、今は悔やまれる人の数に入ることとなってしまった。
 我の母上をはじめとして、女の姉妹が九人までいらっしゃった。みなそれ相応の縁に決まられたものの、立て続けに早世なされ、現在はお二方だけお残りになっているので、母上を失なった後は、いっそう母上の御形見とも見られ申し上げれば、おろそかにして過ぎて来てしまったのも取り返しがたく、「現在は自身の公務のために時間に余裕がないけれど、なんとしても親しくお世話申し上げる機会があったなら。」と、今後機会があるだろうとゆっくり考えていたのに、このようにあっけない訃報を聞いてしまった心が、いく度もただ夢ではないかと考え惑わされる。あのおっしゃっていた上空の雲雀も、雲隠れなさるとはあっけない運命の知らせだったのかと、つくづくと思い続けるのにまかせて、

  亡くなられた魂よ。訪ね求めて雲間に鳴く雲雀なのか。

【注釈】

[1]はかなき=あっけない。
[2]武蔵:むさし=武蔵国のこと。江戸がある国。
[3]御いとま:おいとま=役人として赴任すること。
[4]まめやかに=ゆきとどいてねんごろであるさま。懇切なさま。
[5]のどやかに=人の性質、態度、動作などが、ゆったりと落ち着いていて、静かで穏やかなさま。
[6]物語:ものがたり=種々の話題について話すこと。語り合うこと。四方山(よもやま)の話をすること。また、その話。
[7]御前:おまえ=座敷。また特に、居間または客間。
[8]啓し:けいし=申し上げる。言上する。
[9]のたまはせし=おおせになった。おおせられた。おっしゃった。
[10]かかる=こういう。こんな。
[11]賤し:あやし=身分が低い。 地位が低い。
[12]雲雀:ひばり=スズメ目ヒバリ科の鳥。全長17センチくらい。体は褐色の地に黒い斑があり、頭に短い冠羽をもつ。
[13]発句:はっく=和歌の第一句。
[14]こちたく=仰々しい。おおげさだ。
[15]すずろなる:すずろなる=筋違いな。
[16]静心:しずごころ=静かな心。落ち着いた心。しずまった気持。    
[17]吾妻:あづま= 東の方。東方。特に江戸を指していう。
[18]いかで=どうにかして。ぜひとも。なんとしても。
[19]まほならず=よく整って十分ではなく。完全ではなく。
[20]暇:いとま=ある物事をするのに空けることのできる時間。
[21]悔しき数:くやしきかず=悔やまれる人の数。
[22]はらから=同腹の(=母を同じくする)兄弟姉妹。転じて、(一般に)兄弟姉妹。
[23]よすが=身や心のよりどころとすること。頼りとすること。また、身寄り。血縁者。
[24]形見:かたみ=遺品。形見の品。遺児。故人や遠く別れた人の残した思い出となるもの。
[25]なほざりに=本気でなく。いいかげんに。注意を払わないで。おろそかに。
[26]おほやけに:おおやけに=公的なこと。公務。
[27]疎からず:いとからず=疎遠ではなく。親しく。
[28]行末:ゆくすえ=はるか先のなりゆき。今後。将来。前途。

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