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横井也有の俳文選
51「猫自画賛」

☆猫自画賛(ねこのじがさん)

 横井也有著正編『鶉衣』に掲載されている俳文で、元文5年(1740年)頃の作と考えられています。この俳文は、也有が小型の襖障子に何か絵を描いてほしいと依頼され、鼠除けとして猫の絵を描いたものの、鼠にはどう見えるだろうかとユーモアを交えて、いろいろと書いたものでした。

☆猫自画賛(ねこのじがさん) (全文) 

<原文>

 此小ぶすま[1]の白くてさうざうしきに、物かきてえさせよとあるに、さらに何かくべしとも覚へず。されど辞してもゆるさるまじきかたを早くしりて、よしさらば此棚に鼠のあれぬまじなひせむと、おこがましく[2]筆とりて書たるは何ぞ。我は猫なりと思へども大宮人[3]はいかゞいふらん。昔、金岡[4]が書たる萩の戸の馬はよるよる萩を喰あらしたるとか。もしはさる能画[5]の筆して、四季のすゞみ清水の花見など、にぎはゝしき絵の屏風[6]襖にもあらば、あまたの人の夜毎に出て扶持方[7]もつゞきがたかるべし。我が袋戸[8]の猫は、たとへすゝけて[9]千とせふる[10]とも、赤手のごひ[11]の踊もしらず、まして肴のたなさがしもせねば、あるじの為は中々心安きかたならむを、朧月夜[12]にうかれぬのみぞ、玉の巵[13]の底なしとやそしられぬべき。  世につたなき筆の虎をゑがきては、必猫なりとわらわるれば、我又猫をうつさば虎にも似るべきを、杓子[14]にはちいさく耳かきには大きなりと、かの柿の木のむかし咄ならん。かくいへば鼠の為とてもよしなし事に似たれども、いでや鼠にも白黒の賢愚[15]ありて、子祭り[16]の白鼠はあるじもいさにくむまじければ、かしこく知りてさけぬもよし。心の鬼[17]のわる鼠のみ、これだにも気づかふべきは、落武者の薄の穂[18]を人なりとみるたぐひにて、少はそれよりも近かるべし。さらば牡丹花下にてふ[19]を驚かさむよりは、此棚にねぶりてかのわる鼠をいましむべしとかれにしめしの一句にいわく、

  
ゆだんすな鼠の名にも廿日草[20]

昭和58年3月30日 名古屋市教育委員会発行『名古屋叢書三篇 第十七巻・第十八巻 横井也有全集 中』より

(現代語訳)  猫自画賛

 この小型の襖障子が白くて殺風景なので、何か絵を描いてほしいと言われたが、少しも何を描けばいいのかわからない。とはいっても、辞退しても許してもらえない様子であるのをいち早く悟って、よしそれならば、この戸棚に鼠が現れないようなおまじないをしようと、差し出がましくも筆をとって描いたのは何あろう。私は猫のつもりなのだが、宮中に仕える人はなんと見るのだろうか。昔、巨勢金岡(伝説の絵師)が描いた(宮中の)萩の戸の馬は、夜な夜な(絵から出てきて)萩を食い荒らしたと聴く。もしくは、しかるべき絵の名人の筆における、四条河原の夕涼みや清水寺の花見などのにぎやかな絵の屏風や襖でもあったならば、多くの人が夜毎に(絵の中から)出没して、(その人々の)くいぶちもままならないだろう。私が(描いた)袋戸の猫については、例えすすがついて黒く汚れて千年を経たとしても、(長寿の踊りとされる)赤手ぬぐいの踊りも知らず、まして魚のある棚に探したりもしないので、主人にとっては、かえって安心ではあろうが、おぼろ月の出ている夜に浮かれない(春になっても発情期にならない)のを玉杯の底がない(兼好法師の言葉による)と非難されるのであろう。
 世間では下手な筆で虎を描くならば、必ず猫だと嘲笑されるので、私も、また猫を描いたらば、虎にも似るかもしれず、しゃもじには小さく、耳かきには大きいと、柿の木の昔話に例えられるであろう。こう言えば、鼠よけの為としても役立たないもののように思えるが、いやもう鼠にも白鼠と黒鼠のごとく、賢いのと愚かなのがあって、大黒天の子祭りの(大黒の使いとされる)白鼠は主人も、おそらくは憎むこともないから、賢く悟ってさけないのもよいであろう。よこしまな心のある悪い鼠だけが、これ(猫の絵)にさえ、気付かないだろうというのは、落武者は常にびくびくしていてちょっとした事にも驚くようなもので、少しはそれよりもましであろう。それならば牡丹の花の下で蝶を驚かしているよりは、この戸棚に眠っていて例の悪い鼠を警戒させてやろうと、猫に訓戒する一句を詠んだ。

  牡丹の花(廿日草)の下で、油断するなよ。鼠の名にも廿日鼠というのがあるからな。

【注釈】

[1]小ぶすま:こぶすま=小型の襖障子。また、そのはまっている棚など。
[2]おこがましく=さしでがましい。なまいきである。思い上がっている。しゃくにさわる。
[3]大宮人:おおみやびと=宮中に仕える人。宮廷に奉仕する官人。殿上人。
[4]金岡:かなおか=平安時代の画家、巨勢金岡(こせのかなおか)のこと。
[5]能画:のうが=絵を上手にかくこと。また、その人。
[6]屏風:びょうぶ=室内に立てて風をさえぎったり、仕切りや装飾に用いたりする調度。
[7]扶持方:ふちかた=俸祿。転じて、食糧。くいぶち。
[8]袋戸:ふくろど=袋棚の戸。普通、ふすま障子とする。
[9]すゝけて:すすけて=すすがついて黒く汚れていて。
[10]千とせふる:ちとせふる=長い年月を経て。
[11]赤手のごひ:あかてのごい=赤手ぬぐい。
[12]朧月夜:おぼろづきよ=おぼろにかすんでいる月。また、おぼろ月の出ている夜。おぼろづくよ。朧夜。
[13]玉の巵:ぎょくのさかづき=玉で造ったさかずき。また、美しいさかずき。玉杯。
[14]杓子:しゃくし=飯または汁などをすくう台所用具。シャモジ。
[15]賢愚:けんぐ=かしこいこととおろかなこと。また、賢者と愚者。
[16]子祭り:ねまつり=陰暦10月または11月の甲子の日に行う大黒天の祭り。酒饌・玄米・黒豆・二股大根などを供える。
[17]心の鬼:こころのおに=心の奥に隠れている、よくない心。よこしまな心。邪心。
[18]落武者の薄の穂:おちむしゃのすすきのほ=落武者は常にびくびくしていてちょっとした事にも驚く。また、転じてこわいと思えば、なんでもないものまで、すべて恐ろしく感じられることのたとえ。
[19]てふ:ちょう=蝶。
[20]廿日草:はつかぐさ=植物。ボタン科の落葉低木、園芸植物、薬用植物。ボタン(牡丹)の別称。

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