本文へスキップ

ナビゲーション

横井也有の俳文選
5「奈良団賛」

☆奈良団賛(ならうちはのさん)

 横井也有著正編『鶉衣』に掲載されている俳文で、也有20歳代後半の作と考えられています。奈良団扇(ならうちわ)は、奈良市の特産品で、称徳天皇の天平神護〜神護景雲年間(765〜769年)に春日大社の神官が軍扇の形に倣って作られたのが始まりとされてきました。この俳文は、扇と団扇を比較し、団扇の美点を述べていますが、一芸無能の団扇と多芸多能の扇子の対比がとても面白く描かれています。扇は、風を起すほかに、謡曲の拍子をとり舞に用いられ、帯に差されて晴やかな場にも出入りしますが、団扇の方は、ただ暑さしのぎに使われるばかりだとしたものの、団扇に愛着を持っているのがわかります。

☆奈良団賛(ならうちはのさん) (全文) 

<原文>

 によし[1]ならの帝[2]の御時[3]、いかなる叡慮[4]にあづかりてか、此地の名産[5]とはなれりけむ。世はたゞ其道の藝くはしからば、多能[6]はなくてもあらまし。かれよ、かしこくも風を生ずる外は、たえて無能[7]にして、一曲一かなでの間にもあはざれば、腰にたゝまれて公界[8]にへつらふねぢけ心もなし。たゞ木の端[9]と思ひすてたる雲水[10]の生涯ならむ。さるは桐の箱の家をも求ず。ひさご[11]がもとの夕すゞみ、晝ねの枕に宿直[12]して、人の心に秋風たてば、また來る夏をたのむとも見えず、物置の片隅に紙屑籠と相住[13]して、鼠の足にけがさるれども、地紙[14]をまくられて野ざらしとなる扇にはまさりなむ。我汝に心をゆるす。汝我に馴て、はだか身の寐姿を、あなかしこ、人にかたる事なかれ。

     袴着る日はやすまする團かな

昭和58年3月30日 名古屋市教育委員会発行『名古屋叢書三篇 第十七巻・第十八巻 横井也有全集 中』より

(現代語訳)  奈良団賛

 青によし奈良の(称徳)天皇の御代に、どのようなお考えに関わってか、この地(奈良)の名産となったのだろうか。世間では団扇(うちわ)の芸を十分に知っているから、扇子(せんす)のように多能でなくてもよいのだ。団扇よ、賢いことに風を生み出す以外は、全くの無能で、音楽の一節、舞の一手を奏でる時に出会うこともないから、扇子のように腰にたたまれて公の場でへつらうようなひねくれた心もない。ただ取るに足りないものとして捨てられるのは、世間を捨てて諸国行脚する僧侶の生涯のようだ。団扇は扇子のように立派な桐の箱入れられることもない。夕顔の下での夕涼みや昼寝の枕に随伴して、涼しくなることで人の心に団扇への秋風(飽き風)が立ったならば、また来年の夏にも頼まれるとも思えない。物置の片隅に紙くず籠といっしょにいて、鼠の足跡に汚されるけれども、不要になれば表の貼ってある紙を剥がされて、野ざらしとされる扇子よりはましであろう。私はお前(団扇)に心を許す。私がお前(団扇)に馴れたからと言って、私の裸身の寝姿を、恐れ慎んで人に語る事はするなよ。

   袴を着る日は休ませるのだ団扇は、正装の袴の時は扇子だから。

【注釈】

[1]青によし:あおによし=「奈良」にかかる枕詞。奈良坂で顔料の青土を産したところからという。
[2]ならの帝:ならのみかど=平城京(奈良)にいる天皇。ここでは、称徳天皇のこと。
[3]御時:おほんとき=天皇の治世を敬っていう語。御代。
[4]叡慮:えいりょ=天子の考え。天子の気持ち。
[5]此地の名産:このちのめいさん=奈良うちわは春日大社の神官が作り始めたという楕円形の団扇。奈良の名産品。
[6]多能:たのう=多くの技芸を身につけていること。多方面に才能があること。また、そのさま。
[7]無能:むのう=能力や才能がないこと。役に立たないこと。また、その人や、そのようなさま。
[8]公界:くがい=私の世界に対する、共同の世界。公の場。世間。
[9]木の端:きのはし=木の切れ端。転じて、取るに足りないもの。捨てられて顧みられないもの。
[10]雲水:うんすい=浮雲流水(行雲流水とも)の略。留まるべき場を持たず、さすらうもの。諸国行脚の僧侶をいう。
[11]ひさご=瓢。瓢箪。夕顔。
[12]宿直:とのい=近侍。随伴。お共して。
[13]相住:あいずみ=同じ家にいっしょに住むこと。また、その人。同居。あいやどり。あいずまい。
[14]地紙:ぢがみ=扇に貼ってある紙。傷むと貼り替えた。

      ガウスの歴史を巡るブログ

このページの先頭へ
トップページ INDEXへ 
姉妹編「旅のホームページ」へ

*ご意見、ご要望のある方は右記までメールを下さい。よろしくね! gauss@js3.so-net.ne.jp