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横井也有の俳文選
112「自名説」

☆自名説(みづからなづくるせつ)

 横井也有著『後鶉衣』に掲載されている俳文で、宝暦4年(1754年)頃、也有が数え年53歳で隠遁した時の作と考えられています。この俳文は、隠遁するにあたって、名乗りをどう改めようかといろいろと思案を巡らせている様子が、面白く描かれました。結局、「暮水」いう名前にしたと、自分の考えを語ったものと考えられています。

☆自名説(みづからなづくるせつ) (全文) 

<原文>

 遁世[1]の姿すでに定まりぬ。さては浮き世[2]の名にもあらじ。さるべき二字[3]に改めばやと、名を思ひ、字を選むに、今は父母も世にまさず、官路[4]も厭ひ[5]離れたれば、忠孝[6]の字義[7]を採らむも後の祭[8]とや言ふべからむ。よしまた四書[9]・古文[10]の抜書も、あまねく[11]人の取り尽し、まして帰去来[12]の言葉など、あらゆる隠者[13]のむしり取りて[14]、骨ばかりに喰ひちらしたる。さらば博識[15]の門[16]に乞はば、意味深長[17]の二字もなどあらざるべき。されどもそれは耳遠ければ、名はいかにと問ひ聞かむ人の、とみに心得ぬ顔の口惜しく、骨折りの詮なき[18]心地すれば、これはその書の誰が言なりなど、一人一人に講釈[19]せんはいとむつかしかりぬべし。菩提の道[20]も疎ければ、西念[21]・浄蓮にてもあるべからず。されば世の人の上を見るに、金蔵といふも貧に責められ、万吉も不幸はのがれず、玉といふ下女[22]光もなく、軽とつけても尻重し[23]。名はその人によらぬものかも。よしさらば、ただ丁稚[24]下女[22]も覚えよく、娵も娘も書きやすからむをと、この日、人のもとへ消息[25]の筆にまかせて、ただ暮水[26]とは書きはじめける。それだに人の味はひて、これは何の心にて、それはこの語によるならむと、蛇に足を添へ[27]、摺粉木[28]に耳をも生やして、自然とふかき字義[7]にも叶はば、それもまたをかしかりぬべし。

  
へちまとはへちまに似たで糸瓜[29]

昭和58年3月30日 名古屋市教育委員会発行『名古屋叢書三篇 第十七巻・第十八巻 横井也有全集 中』より

(現代語訳)  自名説

 隠棲して世間の煩わしさから離れることがすでに定まった。それならば、これまでの世の名でもないだろう。ふさわしい名乗りに改めようと、名を考え、字を選択するに、現在では父母も存命ではなく、官途も疎ましく思って離れたので、忠孝の文字の表わしている意味を採用するのも時機を逸して、どうにもならないと言わざるを得ないだろう。よしまた『大学』『論語』『孟子』『中庸』や『古文真宝』からの抜書も、もれなくすべて人の取り尽くし、まして陶淵明の「帰去来辞」の言葉などは、あらゆる世捨て人が引きちぎるようにして取っていて、骨になるほどに食い尽くしている。それでは、広く知識がある一派に願い求めたならば、奥深くて含みのある名乗りも考えてくれないはずがあろうか。しかしそれは聞いても理解できないならば、名前は何といわれると尋ねて聞くような人が、すぐにでもわからない顔が残念で、苦労したかいが何もない気持ちがするので、これはその書物の誰が言葉であるなどと、一人一人に説明するのはとてもやっかいなことであるに違いない。仏道にも疎ければ、世にありふれた西念・浄蓮でもふさわしいはずはない。それならば、世間の身の上を見ると、金蔵と言っても貧乏にさいなまれ、万吉も不幸からは逃れられず、玉という下女も光はなく、軽と名付けても尻が重い。名前はその人によらないものかも知れない。それならば、ただ丁稚や下女も覚えやすく、嫁も娘も書きやすいものをと、この日、ある人に対して手紙を書く筆に任せて、ただ"暮水"とは書き始めた。それでさえ世間の人は趣を感じ、これはどういう真意で、それはこの言葉に依っているのであろうと、蛇に足を付け加え、擂粉木に耳も生やすような無駄な事をしてくれて、自然と深い文字の意味になったならば、それもまた趣のあることになるに違いない。

  へちま野郎(つまらない人)などと呼ばれるのは、何もせずにぶらぶらしているへちまに似ているから、糸瓜(へちま)と呼ばれているのだなあ。

【注釈】

[1]遁世:とんせい=隠棲して世間の煩わしさから離れること。
[2]浮き世:うきよ=現世。この世
[3]二字:にじ=実名。名乗り。
[4]官路:かんろ=官吏となること。仕官の道。官途。
[5]厭ひ:いとい=いやだと思って避け。うとましく思い。いやがって。
[6]忠孝:ちゅうこう=忠と孝。主君に対する忠誠と、親に対する誠心の奉仕。臣下としての義務を尽くすことと、子としての義務を尽くすこと。
[7]字義:じぎ=文字の表わしている意味。
[8]後の祭:あとのまつり=時機を逸して、どうにもならないことや、悔やんでも取り返しがつかないことのたとえ。
[9]四書:ししょ=『大学』『論語』『孟子』『中庸』の儒教の四経典のこと。
[10]古文:こぶん=『古文真宝』の略。
[11]あまねく=もれなくすべてに及んでいるさま。広く。一般に。
[12]帰去来:ききょらい=陶淵明の「帰去来辞」から、官職を退いて故郷に帰ろうとすること。
[13]隠者:いんじゃ=遁世した人。俗世間からのがれて、修行や思索にふけっている人。遁世者。世捨て人。
[14]むしり取りて:むしりとりて=引きちぎるようにして取って。また、強引に取って。
[15]博識:はくしき=ひろく知識があること。また、そのさま。
[16]門:もん=学問・芸道を教える家、施設など。ある師を中心とする一派、または一つの系統を引く学問・芸道の流れをいう。
[17]意味深長:いみしんちょう=ある表現の示す内容が奥深くて含みのあること。表面上の意味のほかに別の意味が隠されていること。また、そのさま。
[18]詮なき:せんなき=ある行為をしても、しただけの効果や報いられる事がなにもない。行なってもしかたがない。無益である。
[19]講釈:こうしゃく=書物の内容や語句の意味などを説明すること。
[20]菩提の道:ぼだいのみち=無上菩提に至る道程。仏道。
[21]西念:さいねん=世にありふれた凡僧の通称。みそすり坊主の通り名。西念坊。
[22]下女:はした=召使いの女。
[23]尻重し:しりおもし=尻が重いこと。起居の動作の不活発なこと。ものぐさであること。また、そのさまやその人。
[24]丁稚:でっち=職人・商家などに年季奉公をする少年。雑用や使い走りをした。
[25]消息:しょうそく=手紙を書くこと。また、その手紙。たより。書信。しょうそこ。
[26]暮水:ぼすい=横井也有の和歌名。
[27]蛇に足を添へ:へびにあしをそえ=よけいなものを付け加え。なくてもよい無駄なものを付け足して。
[28]摺粉木:すりこぎ=すりばちに入れた穀類などを、おしつぶしこすって粉状にするのに使用する先の丸い棒。
[29]糸瓜:いとうり/へちま=へちまのこと。ウリ科の一年生つる植物。つまらないものをいうたとえ。

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