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横井也有の俳文選
23「謝無馳走辞」

☆謝無馳走辞(ぶちそうをしゃするじ)

 横井也有著正編『鶉衣』に掲載されている俳文で、也有30歳代前半の作と考えられています。この俳文は、俳諧の席について語っていますが、俳諧の席は簡素を旨とし、宴会化してはいけないと戒めています。也有の経済力で新鮮な魚や珍しい野菜などを購入することは出来なくはないですが、風雅の取り決めとして、贅沢を戒め、質素を旨としているのです。

☆謝無馳走辞(ぶちそうをしゃするじ) (全文) 

<原文>

 こよひのあるじ野有[1]人々に謝してもふす。ことごとしく[2]招まいらせて汁に園殿の鯉[3]も料らず、皿に張翰が膾[4]ももらず。夜食は例の奈良茶[5]に濁らして、豆腐に鰹の花[6]の名はちらせど、何をよし野の色香とはめでん。さばれ[7]旅路の椎の葉[8]に盛り物のさび敷山家[9]にもあらず。肴は宮の夕あがり[10]を荷ひつれ、八百屋に二月の瓜[11]をならぶれば、自由はこゝも都ながら、もとより曾我の内証[12]にして、いとなみとゝなふにわびしければなり。人々俳諧に信ましまさば、いさこれをしもにくみ給ふな。いでや、かの土器の味噌[13]を思しすて給はずは風雅に喰寄り[14]の他人むきをはなれ、けふを麁菜[15]の矢合[16]として、雨の夕雪の朝、鍋・摺粉木はさはがせずとも、いざと心のむかふに任せて折々の廻状をはじむべし。さるも貧富は等しからず。我をそなたへ招給はんに膏梁珍味[17]のきらひならねば、よき魚よき肴はかへてもたまはらむ。まして茶ばかりたまはるとも吾門の遊びならば、はたかこちまいらせじ。けふの無馳走[18]は紫隠里[19]の掟にして、菜根咬得ば百事なすべし[20]を、貧の風雅の方人[21]とはし侍るなり。    

     魚うりの声よそにふけ青あらし[22]

昭和58年3月30日 名古屋市教育委員会発行『名古屋叢書三篇 第十七巻・第十八巻 横井也有全集 中』より

(現代語訳)  謝無馳走辞

 今晩の主人也有は人々に謝罪して付け加える。仰々しく差し上げたが、汁に名人の鯉料理もなく、皿にジュンサイとスズキの膾も盛らず。夜食は、いつもの奈良茶飯をとりつくろって、豆腐に花鰹の名は散らしたが、どうやってもよし野の色香を愛でるというわけにはいかない。それにしても旅路で椎の葉に盛らなければならないような寂しい山中の家でもない。魚は宮の港に上がったばかりの新鮮なるものを運んでくるし、八百屋には季節はずれの早生り物も並ぶので、思い通りに振る舞うこともできる都市ではあるが、もとよりひどく貧乏な暮らしであって、物事を整わせることが出来ないのである。人々が俳諧に信頼を増していれば、いやなにこれを必ずしも憎みなさるな。いやもう、あの(『徒然草』にある)素焼の皿に付いている味噌を思って捨てなかったならば、風雅に食べ物目当に人が集って来る他人どうしのようなの情愛を離れて、今日から粗末なおかずを手始めとして、雨の夕方、雪の朝、鍋・摺粉木はあの(『徒然草』にある)素焼の皿に付いている味噌を思って捨てなかったならば、風雅に食べ物目当に人が集って来る他人どうしのようなの情愛を離れて、今日から粗末なおかずを手始めとして、雨の夕方、雪の朝、鍋・摺粉木は活躍させなくても、呼びかけて心の赴くままに任せてその都度に回覧状を回そうではないか。そのように貧富は人によって違うものなのだ。私はおいしい料理や珍しいご馳走は嫌いではないから、もしお招きいただけるならば、よい魚やよい食べ物は特にいただきたいものだ。まして茶ばかり出されると言っても私の家の遊びならば、それはそれとして他にかこつけて恨み嘆くこともないであろう。今日のもてなしの食べ物の粗末なことは也有の取り決めであって、粗食し質素な生活態度を保って外物に心を動かされぬようにしていれば、人間何でもできるということを、貧乏な歌合せの味方としているのである。

   魚うりの声は他の所で流してくれ、他所で吹く青嵐のように。

【注釈】

[1]野有:のゆう=横井也有のはじめの号。
[2]ことごとしく=仰々しく。いかにも大げさに。
[3]園殿の鯉:えんどののこい=「徒然草」第231段による。園の別当入道(藤原基氏か)は包丁使いの名人で鯉料理が得意だった。
[4]張翰が膾:ちょうかんのなます=「蒙求」の逸話による。張翰は故郷を離れて役人生活をしていたが、古里のジュンサイとスズキの膾が食べたくなって退職してしまった。
[5]奈良茶:ならちゃ=奈良茶飯のこと。茶飯に豆腐汁・煮豆などを添えた一膳飯。
[6]鰹の花:かつおのはな=削った鰹節、すなわち花鰹のこと。
[7]さばれ=「さもあれ」の約。それにしても。
[8]椎の葉:しいのは=「家にあれば笥に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る」有間皇子(万葉集)による。
[9]山家:さんか=山中の家。やまが。
[10]宮の夕あがり:みやのゆうあかり=熱田神宮のあることから、熱田を「宮」と呼んだ。夕上がりは、その日とれた新鮮な魚介が夕方売られること。
[11]二月の瓜:にがつのうり=季節はずれの早生りだが、「金さえ払えばどんな珍しいご馳走も手に入るのだが…」という例として言っているだけのこと。
[12]曾我の内証:そがのないしょう=内証(内證)は元来「仏道の教えを心の内に悟る」ことだったが、内々の事情、苦しい家計の意に転じた。曾我兄弟は幼くして父を謀殺され、ひどく貧乏な生活だった。
[13]土器の味噌:かわらけのみそ=素焼の皿に付いている味噌。『徒然草』第215段による。
[14]喰寄り:くいより=食べ物目当に人が集って来ること。
[15]麁菜:そさい=粗菜に同じ。粗末なおかずのこと。
[16]矢合:やあはせ=合戦の初めに双方が鏑矢を放って戦闘開始の合図としたこと。
[17]膏梁珍味:こうりょうちんみ=膏は肥えた肉、梁は美味しい穀物。要するに凄いご馳走のこと。
[18]無馳走:ぶちそう=もてなしの食べ物の粗末なこと。
[19]紫隠里:しいんり=也有の別号で、庵の名でもある。庭に藤があったことに因むが、白氏文集等に「大隠隠朝市、小隠隠巖藪」とある「市隠」を意識して命名したかも知れない。
[20]菜根咬得ば百事なすべし:さいこんをかみえばひゃくじなすべし=「人能咬得菜根、則百事可做」(汪信民)による。粗食し質素な生活態度を保って外物に心を動かされぬようにしていれば、人間何でもできる。
[21]方人:かたうど=味方。平安時代に行われた「歌合せ」で、歌人が二手に分れて歌の優劣を競う時の味方となる人のこと。
[22]青あらし:あおあらし=初夏の青葉を揺すって吹き渡るやや強い風。青嵐。

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